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転職をすると年収が減るは本当か。40代氷河期世代の体験談

氷河期世代
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給料や仕事内容、人間関係。色々な事情で転職や退職を考えている人は多いです。

働いていると何かしら不満もありますし、こんな会社辞めてやる!と思う事もあるでしょう。私もそうです。

なかでも「転職をすると年収が減る」というのは良く聞く話ですよね。それが不安で足を踏み出せない人も多いかと。

本記事では、就職氷河期世代かつ数度の転職をしている私を実例として紹介をしていきます。

年齢も住んでいる場所も違いますが、実例ですので参考になる部分があるも知れません。

氷河期世代であれば「あー、同じだわ」と思う方もいるかも。。

私の場合、本人の能力不足と、就職氷河期世代なので中々恵まれた転職状況と機会はありませんでした。

今の若い人であれば、また違うのかも知れません。

転職後の年収も含めて書いておりますので、転職を悩んだり考えている「あなた」の参考になれば幸いです。

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1社目の年収|中小企業ボーナス無しの契約社員

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最初に勤めた会社です。年収は税込み300万円きっちりでした。

契約社員でした。契約社員かよw とか笑わないで下さい。笑っても構いませんけど。

40代の私は就職氷河期ど真ん中なのです。当時、本当に優秀な人でも会社が採用自体を絞っていたので、就職先が無いという事があったのです。

20年前くらいの同じ日本です。今は人手不足が続いているので、若い人にはイメージが出来ないかも知れません。

Fラン大学だった私や友人は、真っ当に受けていても仕事が無いという状況もあり、新卒カードという現代の最強カードを持ちながらも、ハローワーク(当時は職安)にも仕事を探しに行っていた時代です。

私の新卒カードは効果無しでした。少しの期間、社会に出れずフラフラしていました。

 

社員数30名ほどの広告代理店でしたが、別の企業へ出向でした。そこで営業の仕事をしていました。

今思えば、出会った人が良かった事もあり、良い経験になっています。誰もが知っている会社で勤める機会も得ることが出来ました。

 

生活は収入の20%を貯金をしながら、何とか暮らしていましたね。若いので無駄な散財もしました。

ちなみに、実家に住んでいましたが、家が裕福では無かったので家賃5万円を払っていました。翌年には5万5千円に値上げをされました。。

これはこれで、一人暮らしをする際にお金の管理もしっかり出来たので、今思うと良い経験でしたね。我が両親ながら良い仕事です。

家を出る時に「貯めていたから無駄遣いせずに使うように」とか、結婚した際に「あの時の家賃はこの日のために」みたいな事は一切ありませんでした。

 

その間、景気が上向く事は無く、2年で契約満了に伴い転職をやむなくされます。

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2社目の年収|初めての退職経験。零細企業かつ薄給。年収ダウン…

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年収は税込300万円未満です。しかし正社員でした。

1~2年目あたりは月収もボーナスも少なく300万円を割っていました。

転職をした結果、給料は下がる。は事実でした。

実例1件目ですね。

 

会社都合&初めての退職でメンタルが弱っていましたが、1社目が大きな企業で経験を積んだ、というのが大きなメリットになりました。

1社目の外注先として繋がりがあった事と大企業からのプッシュもあり2社目に拾って貰いました。言葉通り拾って貰った、です。

 

社員数7名の零細企業です。人材派遣業、広告代理店と言っていましたが、実際は何でも屋です。

企業パワーを使ってねじ込んで貰った事もあり、特に決まった仕事も無かったので、強引に仕事を作った記憶があります。

契約社員として切られた前職と、出向先をメインにけっこう仕事を頂いていました。

後々になって思うのですが、私を切った会社の先輩等は、それなりに評価をしていてくれたようです。

外注先となる事で、困った事を積極的に仕事として発注を出来るので、便利屋としてのスキルを積めました。

1社目で出向していた大企業の仕事や、前職場が抱えていたが、対応できる人間がおらず困っている部分を根こそぎ貰っていましたね。

仕事を出すとしては、素性も分かっており、身内のようなものなので、そこの名刺を持って客先へ行って仕事をしたり立ち合いをしたりも多々ありました。

 

短期間の新規営業部隊を作ったり、一人でマーケティング資料を作ったり、大企業の関連会社がちゃんと仕事をしてるか、尾行調査をするといった探偵みたいな仕事もしていました。本当に何でも屋ですね。。

合わせて、幼馴染みがデザイナーから大手広告代理店に転職をしたこともあり、こちらでも便利屋として使って貰いました。

今でも幼馴染みの会社の忘年会に個人として参加しています。仕事辞めても、このような繋がりがあるのは嬉しいです。

最悪、現在の仕事をリストラされた場合、フリーとして仕事を貰える可能性もあり得るので、社内の人間関係より社外の人間関係を深くしておく事は良いと思います。

会社の飲み会行事は嫌いですが、客先との飲み会は楽しいので良く参加しています。

社内の愚痴が無いから楽しいのかも知れません。ただし、楽しい事だけは続かないのが世の中です。

 

順調に仕事もこなして、会社には賃上げ要求をしながら最終的には税込360万円くらいだったと思います。

今から考えると、良くこの給料で激務をこなしていたな、と思います。

会社は順調なように思えていましたが、零細企業ゆえ社長の舵取りに左右されます。

当時はリーマンショック前で、不景気ながら売上&利益増を続け、社長が徐々に贅沢を始めます。零細企業なのにジャガーを買ってましたね。。

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そこへサブプライムローン問題で景気が冷え込み始め、リーマンショックが全てを巻き込みます。

こういった経済危機や大不況の時に一番に減らすものは広告費や外注人件費です。

 

当然、私のいた2社目は大ダメージを受けます。個人の売り上げや利益は関係なく給料20%オフの洗礼を受けます。

そして間もなく私はリストラされ、会社も倒産をしてしまいます。また転職をする事になるのです。この会社には7~8年お世話になりました。

3社目の年収|外資系企業メーカー営業職、年収アップ?

一ヶ月程度で拾ってくれる会社があり、無事転職をする事が出来ました。

慣れた業務の人材サービスや販促系の仕事を求めていましたが、一番削られる広告販促業界に募集があるはずもありません。

拾ってくれた会社は外資系の素材メーカーです。年収は400万円、正社員でした。

人材紹介サービスを通しての転職で、きっちり年収提示をしてくれての転職でしたので覚えています。

転職をした結果、給料は下がる。では無く上がる事例となりました。

実例2件目ですね。

上がったのは単純に運が良かった、という事です。

 

業務内容は営業職です。技術職でもあります。30半ばのおっさんには、もう営業職くらいしか仕事はありません。

ずっと無形サービスをしていたので、有形サービス業という事で大きく転換です。

仕事で講師をしたり、人のコピーは得意だったので、化学関係の商品にもついていく事が出来ました。

正直業界外からの転職で分からない事をお客さんにも聞きまくったりしながら、それなりに仕事をしていきます。

意外と好調に実績を上げていき、何だかんだで年収500万円を超えます。

 

が、本国での派閥争い勃発、原材料の高騰や、外資系という事もあり本国からの意向でリストラの憂き目にあいます。

リストラをされたのは私です。最終年収は530万円くらいになっていたと思います。

外資系とは言え、日本ではただの零細企業ですので、早期退職金等は全くありません。周りからの圧力もあり自己都合退職という形になりました。

今思えば、開き直って拒否していれば良かったのですが、まぁ色々あって精神的にも追い込まれていたりで精神を病む前に辞めたのは良かったのかも知れません。

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4社目の年収|従業員数500名以上管理職(名目上)

さて、4社目ともなると年齢もあり仕事を選ぶ事は難しいです。

選ばなければ、3社目のお客さんから引き合いは結構ありました。ですが、素材メーカーの客先という事は工場系が多いのです。

虚弱な私に勤まるものでは無いので、また無形サービスへ戻る事になります。

年収は税込390万円、正社員でした。40歳前の人間で400万円以下の年収です。

転職をした結果、給料は下がる。はやはり事実でした。

実例3件目ですね。

 

仕事内容は有期契約社員の管理業務です。

慣れない管理業務に戸惑いながらも、無形サービスの業界では人の縁が良い私は、先輩にも恵まれ徐々にですが仕事に慣れていきます。

チームで動いており、クライアントは外資系メーカーのお仕事でした。

途中、異動で別クライアント担当のチームになりますが、そこでも外資系メーカー。何故か縁があるようです。

仕事はハードでしたが、自分には合っていました。社員数150人程度、有期契約社員600人程の規模です。

ちゃんとした評価制度があり、役職者はちゃんと役職に応じた責任を持ち、マネージャーはマネージャーの仕事をしている良い会社でした。

人間的にも魅力的な人が多かったです。ただし、一年の離職率30~40%という恐ろしい会社でもありました。

出世とは無縁で、この会社で頑張ろうとしていたのですが、少し事件が起こります。

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なんと前職の外資系素材メーカーより、復帰依頼が来ます。本国の社長の意向が働いたようです。

という事で、悩みに悩みますが、妻子もありお金と時間を天秤にかけながら転職を選びました。

管理の仕事はわずか1年半でした。会社には迷惑をかけたと思いますが、生活もあるのでイーブンです。

引き留めも頂いたり、人事の方がわざわざ時間を作ってくれて会いに来てくれたりしました。

やっぱり年収がネックですかね?と言われたのを覚えています。

時給換算すると激安で去っていく人が多いと人事担当も悩みの種だったようです。

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5社目の年収|外資系企業に復職(こんな事もあるんだな)

前職では無事に昇給をしており420万円くらいになっていました。

年収ありきで交渉をしていたので、490万円+営業歩合が給料です。まぁ、一番良かった時の例でいくと同じようなもので520~530万円くらいです。

転職をした結果、給料は下がる。では無く上がる事例となりました。

実例4件目ですね。

まぁ、下がるようなら転職はしていませんが。。

 

で、今がこの状態です。

とはいうものの、本国の社長が退任をして、呼び戻された後ろ盾が無くなったので、市場動向や日本の社長の意向で、リストラの危険性はあります。

低能なので、呼び戻してくれた本国CEOが退職するという考えまで及んでいないのです。

同じくらいの年齢で結構若いから、まだまだ働くと思ってました。。

昨年は会社の売り上げも良く、順調でしたが今年に入って原材料の高騰祭りが続いている事と、売り上げが昨年比でかなり下がっており、今後どうなることやら、という状況です。

更に零細企業であるのに、社長がメルセデスに乗り換えました。昨年、特需があって調子良かったからなぁ。。私の中でアラートが鳴っています。

 

とはいえ、前回の事で勉強はしているので、簡単に退職をする気は今のところありませんが。。

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まとめ|なるべく6社目の報告はしたくない

  • 転職で年収が下がるケースもあれば上がるケースもある
  • 私個人を例に挙げると2件ダウン、2件アップなので本人次第かと
  • 何より状況を左右するのは、その時の景気状況が最大要因

以上となります。もう老後を見据えた歳なので、6社目の報告はしたくありません。

多分、雇ってくれる会社も期待できないので、細々とフリーランスで働くという可能性はあります。

お読み頂きありがとうございました。

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【2019年3月20日追記】

ちょっと会社業績(社員7名の零細企業)が悪くなっており、転職活動中です。社内の空気も人間関係も殺伐としています。

いよいよ6社目になる可能性が高くなってきました。。景況感を感じず、同じような人も多い気がします。

管理人はリクルートエージェントという転職エージェントを使っています。

キャリアに応じた仕事紹介をしてくれて助かっています。工場系のホワイト作業者で探しています。

公式リンク:リクルートエージェント

無料で相談ものってくれて職務経歴書の指導や添削もしてくれます。(転職させた人の年収に応じて企業から手数料を取るビジネスなので向こうも必死です。)

同じ世代で現職に悩んでいる方も参考になるかも知れません。

 

子供の大学費用の目途はたっている事。老後資金も少ないながら用意が出来はじめています。

願わくばあと5年は働いて老後資金をしっかり準備をしてからのリストラなら、生きていく分には何とかなるかな、とも思っています。

もし若い人たちが見てくれているなら、貯金は大切ですよ。と伝いたいですね。多少の事があっても何とか乗り切るのに現金は大いにものをいいます。
普通に働いて、普通に貯金をするだけで、生きていくのは何とかなっていくものです。私の実体験ですけどね。良かったら資産形成まとめシリーズ読んで下さい笑

 

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【悲報】氷河期世代はマジで棄民世代なのかも
氷河期世代ってハードモード過ぎませんかね。。

自分を不幸とは思っていませんが、ゲーム難易度の設定ミスを感じるくらいには厳しい氷河期世代です。

アラフォークライシスというネット記事を見た事で書いたのですが、同世代の苦しみは本当のリアルです。

転職する時に管理職経験はあればある程有利です。
この記事を書いた人
ななし

1976年生まれ、超就職氷河期世代のインデックス投資家。投資情報を中心とした当サイトの管理とWebライターをしております。自己紹介は「ななし」をクリックで。

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