投資をしていると日々お金のことを考えがちですが、お金より大切なものはありますよね。
でもそれを言語化するのは難しい。。
下記は昨年末の山崎先生の記事、トウシルでの最後の記事。山崎さん宛ての質問を答えるコーナーです。
いつもキレッキレだった山崎先生が質問の重要性は分かるのに、答えが全く分からなくて考え込むような「超重量級の質問」と書き始めるお話。
私は凄く納得しながら読んでて、でも難しい内容だから記事にするのはやめておこう、と思ったけど一人でも多くの人に読んで欲しいから記事にします。
【山崎元】「お金より大事なもの」にどうやって気づくか
記事のポイントは4点あります。
- 超重量級の質問
- 「お金の呪縛」とは?
- 意識転換のスイッチは「怒り」
- 「怒り」を「変換」せよ
詳しくは記事を読んで貰いたいのですが、来た質問を見つつ、私なりに思ったこと感じたことなどを書きます。
超重量級の質問とお金の呪縛
質問はこちら。(一部省略)
お金はないより、あったほうがいい。でも、もっと大事なものがあるのもわかっている。わかっているが、そこに重きを置けていない。
日々は圧倒的に押し寄せて、そのことを考えることを避けさせる。そして、手段と目的の混同に右往左往する。どう立ち止まり、やり直すか。
これを見て、比較的お金にあまり重要性を置いてないと思っていた自分もダメダメなことに気付きました。
家族や健康、自分が楽しいと思える人生。
そんなことはお金より大切なことは明白ですが、いざ自分がお金より大切なものに対して、お金より大切にできているか。
そんな風に毎日過ごせているかと自分に問うと、日々の仕事に忙殺されるし、NISAをどう埋めようかとか悩むし、妻へ毎日感謝を伝えられているだろうか。子供への愛情を注げているだろうか、ひょっとして仕事を理由におざなりになってないだろうか。いや、なってる。なってるけど、どうしてもお金の呪縛から逃れられてないことに気付きます。
自分に何かあればお金への執着はすっと消えると思うのですが、日々を生きているととてつもなく難しいな、と。
記事の中でお金の呪縛をこのように書かれていました。比較尺度としての貨幣が強すぎる問題でしょうか。
例えば、人は、自分の年収を他人の年収と比較する時にどきどきする。年収の多い人ほど、他人にたくさん貢献しているのだという価値判断が一応は可能だ。
「君のお父さんは、ウチのお父さんよりも年収が低いから、社会への貢献は小さいね」と言うませた小学生がいた時に、この子の同級生は的確に反論できるだろうか。
同級生だけでなく、子供たちの先生は、適切な説明が出来るだろうか。「ませた子供に」言い負かされる先生がいるのではないかと心配だ。
私は底辺かつ低年収で働いているんですが、エッセンシャルワーカーなので曲りなりにも社会にかかせないインフラに関わる仕事をしています。
綺麗事をいえば、インフラで働いてくれる人がいるから今の生活があって感謝、なのですが、では社会貢献となると年収の尺度はとんでもなく強い。。
管理人は自分の年収が低いのは社会貢献が小さいと言われれば反論できません。だってそれだけ価値が小さい仕事しかできていないのと、一件当たりの単価が小さいこと、またアプローチできる範囲が狭いことからも年収が反映されていることが分かります。(Googleなど単価は安いけど莫大な数にアプローチできて爆裂な収益をあげているから社会貢献、価値は高く、立っている位置や業界は大切だな、とも。かといって、これを自分の子供にうまく説明できるかと言うと難しくて、上手いこと稼げる業種や業界にいって欲しいな、と思い、これぞお金の呪縛よなぁ、となったり。。)
何となく正解は分かってはいるけど呪縛から逃れることの難しさ。。
意識転換のスイッチは「怒り」、「怒り」を「変換」せよ
記事では意識転換のきっかけは怒りと書かれていました。
組織に対する憤りを書かれていましたが、管理人だと稼げない自分への怒りでしょうか。
家族を食べさせながらだと投資もできない自分に情けなくなる。だから副業をする、という感じで、ある程度お金の呪縛からは離れることができたとは思っています。
思っていても完全にはできないので難しいですけど。
ただ、怒りをうまく変換しないとダメだよ、ともありました。
大げさな喩えで恐縮ですが、「怒り」は伝わりやすいので、怒りで革命をすることはできる。
しかし、「怒り」だけで、革命後の国を治めることは出来ないのです。自分の「信用」こそが大切なのだと思う国民が必要だし、国民同士が「共感」できるような社会が必要です。
後半、何となく小説を読んでる感じでした。
怒りで自分の行動は変えられた気はしますが、家族からの自分の信用などはどうかな、自分の考えで副業していることは家族を幸せにできているだろうか、とか。
凄く悩むし難しい問題だな、と。
最後は高潔にこうまとめられていました。
だから、我々は、怒りに対する感度を高く保つ必要があります。必要な時には「正しく怒る!」用意がなければなりません。鈍感は、美徳ではありません。
しかし、いつまでも怒っていてはいけない。
こう心掛けることで、例えば、お金で考えた損得としては損であっても、自分が持っている「信用」の方が大切だ、といったことに気づくことが出来るようになるのではないでしょうか。
これが、今回の難問に対する、私の回答です。
そうなんですよね。
怒りはきっかけになるけど、それを続けるのは良くない。昇華させなければ安定した幸せにつながらないし。
まぁ、なかなか自分の信用をしたり、して貰ったりはとてつもなく難しいので、私なんかはまだまだなんですが。。
なかなか難しい問題で、人によって受け止め方がめちゃくちゃ変わる記事ではありました。
ただ、自分に置き換えるとこうだな、とか考えながら読むと、生きていくことや、なぜこんな頑張って投資をしているんだろう、とか良いきっかけになると思います。
もし良かったら元記事を読んで貰えると嬉しいです。
おわりに|少しずつお金の呪縛から逃れて、お金より大切なものと触れ合えるよう日々頑張っていきたい
記事を読んで、自分はまだまだだなぁ、と凹んだものの、少しずつお金の呪縛から逃れて、お金より大切なものと触れ合えるよう日々頑張っていきたいとも思いました。
口ではいくらでも言えるし、頭でも家族や友人の大切さを分かっていますが、行動に出せているかというと、まだまだなので、少しずつ言葉で伝えていきたいです。
ある程度老後の心配は減ってきた感はあるので、投資も大切だけどほどほどに。こんな感じで生きていけるようにしたいですね。
というワケで、今日はお金より大事なものというお話でした。
お金の悩みから解放されるために投資をしている人が多いと思うので、こっちはコツコツ続けるのが近道だし、楽だとも今になって実感しています。
もちろん大変なこともあるでしょうけど、ともに頑張っていきましょう。
お読み頂きありがとうございました。
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