先日、ブログ仲間のみさきさんに誘われてインスタライブに参加しました。(陽キャの世界で緊張しましたが無事なんとか生還。。)
新NISAどうする?というのがテーマでした、そこでリーマンショックをどうやって乗り切ったか、という話を聞かれました。
こういった体験談はけっこう知りたい人多いのかも知れませんね。
去年はいつも仲良くしてくださっているかず先生からもリーマンショックの話をネタにスペースをしていました。
話していたときに教えて貰ったんですが、大体、年収分くらい損失を受けるとメンタルダメージの限界らしいですね。
庶民の年収だと5年くらい切り詰めた金額(管理人だと収入の20%を貯金投資に回すので✕5で一年分)なので、それは確かにあるかも。
たぶん200年くらい同じことをやっていて、株式チャートを見るとそれが分かりますw
リスクを取って資産形成するのは圧倒的に正しいんですが、余程特殊な人じゃないと暴落を受け流すのはマジで無理レベルです。
私たちにできるのは生き残るための資金管理が超大切というお話でした。そういやリーマンショックで退場していった人多かったもんなぁ。
投資もスポーツや武術と同じ。
かず先生は空手に置き換えて話していました。
普通、いきなり殴りかかってこられたら誰でも目を瞑ります。これは防御反応なのでしょうがない、と。投資も同じで何も訓練してなかったら確実にメンタルやられる、と。
なので、嫌な感覚がある場合は、リスク許容度を見直してても良いかもですね。
実体験はつらすぎるので体験談を知っておくだけでも効果はあるんじゃないかな、と。
さて、本題。
前置きが超長くなったんですが、こんな状況下で、そういえば私がリーマンショック被弾したとき、
よく投資を続けられましたねwww
どんな感じやったんですか?
というのが副題でした。
では、管理人がリーマンショックを受けたあと、どんな考えで投資を続けてきたか見ていきましょう。
【回想録】リーマンショックをどうやって乗り切ったか
結論:シーゲル神画像と資本主義を信じていた
前置き長くなったのでサクサク結論から。
シーゲル神画像というのはコレです。
超長期で投資をしたら株式最強!ってヤツ。
インフレ考えると債券も救われないので貧乏人は株を買うしかなかった、という悲しい現実があります。
あと、投資本はけっこう読み返してました。
その都度、結局株式買うしかないよなぁ、と。
あと、資本主義を信じる、というか実感していました。
当時、ホントに仕事が無くてブラック企業でも働けてるだけマシだよなぁ、という感じだったんですよね。
みんな貧乏過ぎてワタミが人気でしたし。
リーマンショック後はAIG(アメリカ最大級保険会社)が破綻寸前とかなってて、日本だと東京海上とMUFJが同時破綻くらいのイメージでした。
資本主義オワタ\(^o^)/
みたいな。
それでも、資本主義は続いてたんですよね。。
なにせ自分自身が株式会社で働いてましたから。
毎日毎日、数字でギャーギャー言われるし、改善やら成長を毎年毎年求められてうんざり。
で、それで成長したら誰が一番恩恵を受けるかというと株主なんですよね。代わりに相場で資産半減というリスク背負いますけど。。
当時は国内金利が低く、外債は高いけど利回りは結局為替で相殺されるし。。(ドル円の短期金利差がMAX5%くらいあったんですが、124円近くから76円くらいまで下がりました。その後アメリカの金利も下がりました。。)
なんか今の状況に似てて怖いw
なので、債券も何だかなぁ、という感じでコツコツ株式を買っていたという感じですかね。
続けられた理由のもう一つにカウチポテトはあると思う
いつも書いてるんですがコレが気楽です。
株式がピークからマイナス50%とか喰らっても資産全体だと75%は残るんですよね。
マイナス50%とかになると、ほとんどの人は絶望して株式投げ売り状態なんですけど、そこでリバランスとか気にせず買い向かえる。
これはめちゃ大きい。
いつもの図。
↓
資産全体では75%維持できてます。現金もしっかり残っており暴落してる株式を買い漁ることもできるし、精神的にも余裕がありそう。
↓
リバランス完了。
さすがに50%下がった株式なら雑に買ってもそこまで大きく下がらんでしょう。これでも全体で見るとピークより下がったけど75%の資産があるし悪くない感じ。
ちなみにリーマンショック前はリスク資産比率が80~90%くらいあって軽い致命傷でした。
今はメンタル安定。生きてて良かった。
リーマンショック後、たぶん3年くらい買っても買っても資産マイナスだった気がする
あまり面白くないので忘れてるんですが、リーマンショック後はしばらく入金して積立投資をしているけどマイナスという状況がひたすら続いてました。
それでも資本主義を信じてコツコツ買うしかなかったので余剰金を現金半分、株式半分くらいの比率で続けてましたね。
あと、敗者のゲームで株価は20年周期で受難と豊穣の時代を繰り返す、と何度も見ていたのも大きいかも。
実際、2000年からの15年くらいは受難の時代だったワケで。。
読みやすい投資本はけっこう増えましたけど、本場の名著はやはりおすすめです。読みづらいという声も多いですけど。
当時、みんな平等に貧乏だったのも大きかった
リーマンショック後はホントにみんな貧乏でした。
実際にはお金あった人もたくさんいますが、いつ会社が倒産するか分からない状況なので余裕ある人は少なかったですね。
管理人の会社は倒産したけど、その前は給料20%カットされてました。もちろんボーナスは全額カットです。
お金無いので毎日図書館で本借りて過ごしてました。会社にも水筒持参。節約の日々だけど、みんなそんな感じなので相対比較で貧しい気持ちも少なかった。(というかもっと悲惨なニュースで溢れていました。)
この時期が今の自分を作ってる気もしますね。
余談|アメリカは株価=年金だから買い支えが入って安心は大嘘だと思う
ちなみにですが、これは大嘘かな、と。
なぜなら支援が入るから大丈夫ならリーマンショック後に5年も株価低迷してませんから。。リーマンショック前もプチ景気が良くて、投資をしないのはアホだ、みたいな空気感がありました。
2022年とかも全然上がりませんでしたしね。
当時も似たようなこと言ってましたし、グリーンスパンという絶対守護神がいるから安心みたいな。
グリーンスパン大先生についてはwiki参照。
ニューヨーク大学から通常は必要な論文抜きで経済学博士号を贈られた偉人らしいです。(学が無いのでどれくらいスゴイか分かりません。。)
アラン・グリーンスパン(Alan Greenspan、1926年3月6日 – )は、アメリカ合衆国のコンサルタントで、マネタリスト経済学者。1962年から1974年まで国際投信ドレフュスファンド(Dreyfus Fund)の取締役を、1974年から1977年までジェラルド・フォード大統領の経済諮問委員会議長を、1980年代にはアルコア社やABCの取締役を、1987年から2006年までは第13代連邦準備制度理事会(FRB)議長を務めた。
金融政策の行方について多弁を費やしながら、含みをもたせ、言質を取らせなかった言葉で市場関係者を幻惑しつつ、巧みに市場金利を望ましい水準に誘導し、「金融の神様」「マエストロ」の名をほしいままにした。
しかし、2007年以降の住宅バブル崩壊に端を発する世界金融危機を巡っては、グリーンスパンによる数度にわたる金融緩和が一因との指摘が強く、功罪共に盛んに議論されている。
ITバブル崩壊から復活させた功績は大きいし、次のバーナンキ議長になるときは不安感もあった記憶があります。
実際にはヘリコプター・ベン(デフレ克服のためにはヘリコプターからお札をばらまけばよいと発言してました)の異名通りの活躍をしました。
この二人のWikipedia面白いので良ければどうぞ。
>>ベン・バーナンキ
話がブレて来たのでそろそろ終わります。
おわりに|暴落は必ずやってくるから自分のリスク資産を見つめなおしておこう
老後に向けて株式投資をすると30年、40年という期間になります。
これは暴落に巻き込まれるには十分すぎる年数です。今の相場がどうとか分かりませんけど、この時間規模になると確実レベル。
となると、どうやって続けられるかを考えた方が長期で良いことが多いと思うんですよね。
多くの人にとっては納得いかないかもですが、働く期間を長くとり、投資期間も長くとる。余裕があるなら収入を増やすことを努力して入金を増やす。
何だかんだで近道はないのかも。
一番マズイのが投資をガチャガチャ動かして、市場平均より低いリターンになったり、投資から退場してしまったりすること。
ホントに苦しい時代がきても私たちは続けるしかありません。しかし仲間がいるから頑張れる。そんな時代にもなりましたね。
ともにコツコツ頑張っていきましょう。
お読み頂きありがとうございました。
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リーマンショック関連で、当時のことをもう少し突っ込んだ話はこちらからどうぞ。ホント大変でした。
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