バブル崩壊以降、失われた20年とまで言われ長い不況に苦しんできました。就職氷河期世代は、その中でもがき苦しんだ世代です。
全く就職先が見つからなかったと、いう人も多いのではないでしょうか?
私も同じです。
管理人は有効求人倍率が0.48という意味不明な数字の年に卒業で、まともに就職が出来ませんでした。
画像はWikipedia(就職氷河期)より引用。
さて、就職先が見つからない、という事を話しましたが、白金fox(@pt78fox)さんより氷河期体験記を寄稿頂いております。
ちょっと普段の当サイト(氷河期ブログ)とは違った感じですが、読んで損をする事はありません。
経済は生き物で、いつ不況が襲ってくるかは分かりません。
世界経済失速の話もチラホラする中で、たった1年で状況は激変するというのは体験談を通すことで自分に置き換えることも出来ます。
恥ずかしながら、管理人は転職を考える状況に陥っております。読まれているあなたの状況も考える参考になれば幸いです。
バブル崩壊と氷河期世代初頭の体験談
バブル経済崩壊以降の1993年~に卒業した世代を氷河期世代というらしいです。
1993年は、ボクが専門学校を卒業した年です!あー、もうだいたいの歳ばれちゃいますね(笑)
正社員とフリーランスを交互にやってきた感じです。
学校卒業の前年までは、求人は豊富でしたが、ボクが卒業する年にはない!っていう、ちょうど境目の年でした。
今回は、その時のお話です。
バブル真っ盛り!求人豊富な高校時代
高校卒業後の進路について、
- 就職する → 求人豊富だが、どれもピンとこないから、就職しない
- 大学進学 → テレビなどで見る大学生は、遊んでるイメージしかなくてイヤ
- 家の仕事を継ぐ → 親父若いし、就職しろって言われた
といった状況でした。残った選択肢ないなぁと。
唯一、自分にできそうなのは、当時、学校に数台あったPCを使うことでした。
ワープロ(懐かしい!)、表計算ソフト(Lotus知ってる?)、BASIC言語くらいしか知らないけど。
担任の教師と相談すると、専門学校というのがあるとのこと。親父は就職しろと言ってたので、相談しました。恐いけど(笑)
相談した結果
- 授業料免除(全額じゃない)になる特待生で入る
- 授業料と、中古車の購入代金は出してくれる
- 車にかかる費用は、全額自分で稼ぐこと
- 家にお金をいれること
※車については最寄りのバス停まで4~5㎞という車必須の地域なので。。
ということで交渉成立。特待生はハードル高かったです。なんとか合格でした。
悠々自適な専門学校
手に職はつけたかったので、勉強は一生懸命やったほうだと思います。
アルバイトは、ゴルフ場での体力勝負な仕事でした。休みの日は、朝の6:00くらいから1日中動いてました。
バブル全盛ですから、ゴルフ場はすごく儲かってたと思います。自分も儲かってました(笑)
ガソリン代を気にせず、車乗り回してたくらいです。若いから寝なくても平気です。
ボクの実感としては、ものすごい平和な日々。あとは、希望就職先であるシステム系の会社に就職するだけって感じで、すごく呑気に過ごしていました。
そして遂にアレが弾けます!
バブルが弾けた?!
経済のことなんて、なにも知らないボクです。
「バブルが弾けた!」なんて言われても、なんのこっちゃ?!です。これがなにを意味するのか、全く考えませんでした。
日本の景気が一気に悪くなった・・・
言葉では聞いても、全く実感がわきません。
そうこうしてると、企業は人材を、
- 増やせないので、採用活動はしない
- 余ってるから、減らす
などという話が、大きく耳に入ってきます。
求人ゼロ?!
求人ゼロです!
正確には、ボクの希望する職種の求人は、ホントにゼロです。システム系専門の学校なのに、その求人がゼロです。
他の求人はあるけど、数分あれば全て見終わる数です。
前の年に就活部屋のぞいた時は、ところせましと貼ってあったのですけどね。。
しばらくすると、希望職種で大手の求人が1つだけ入ってきました。
が、そこでボクは妙なこだわりを持ちます。
同じ社員なのに、顔も名前も知らない人達と一緒なんてイヤだ!
田舎者かお前は!いやまぁ田舎者なんですけどね^^;
とにかく、社員数の多い企業には、いきたくないって思ってました。
記憶ではたしか、100人以上はムリ!とか思ってました^^;
「えぇまぁそうですね」的なことしか、答えてなかったと思います。
またしばらくして、30人くらいのシステム系の求人がきて、これがラストチャンス。
無事、内定がでて、東京都民となりました。
就職した企業での様子
給与は低いです。手取り12万弱。まぁ、わかってたことです。手当もないし。
その代わり、会社の寮があり、そこに住むのなら、家賃や電気水道ガス代は全て会社持ち。ただし、2~3人が一緒に住むことになるし、見事にボロボロな建物。
長い廊下。襖に畳の部屋が3つ。キッチン・バス・トイレは共用。バスには、見たことない、でかい湯沸かし器?みたいなものがあって狭かったです。
エアコンなし、扇風機のみ。今考えたら3年程、よくこの環境に耐えたなと。よくまぁ熱中症とかにならなかったなと思います。
ここまで我慢したのは、お金を少しでもためて、出ていきたかったからです。
一人は1年もたたず出て行きました。寮を出ると家賃がかかります。手当なし。
ボクがアサインされた仕事は、ほとんどメーカー系企業に常駐しての作業。そこの仕事仲間といるのは楽しかったです。
通勤は往復で2時間半くらいだったのかな。
そして、残業は超多し。寮は寝るためだけの部屋でしたね。食事くらいしかお金使わないので、すこしお金は貯まったかなと。
結局、3年くらいで退職し、地元に戻りました。次の仕事は見つけてませんでした。
ここまでのまとめ
- バブルが弾ける前は、裕福で悠々自適
- 弾けた後は、なかなかハングリー
といった感じでしょうか。
ホント、氷河期世代は、救われる話がないですよね。45歳リストラとか、棄民とか。
ボクらの世代は、世の中に言いたいことが、いっぱいあるのではないでしょうか。
後日談|就職氷河期に地元での就職活動
地元に戻る前、1社だけ募集の確認をしました。幸か不幸か既に締め切られていました。
後でその企業はいわゆるブラックだとわかったので、運が良かったかも。
田舎なので、当然ですが、求人なんて簡単に見つかるわけがありません。
「ちょっと来い」と。恐る恐るいくと臨時講師やってくれと。
思ってもみないとこから仕事が入りました。
でも人前で話すの嫌だなとか思いつつ、背に腹は代えられなくて受けました。初めての授業は、緊張で体と声震えてたの覚えてます。
人前で話せるようになると、パソコン塾みたいなものもできるな、と思って、フリーランスとしても活動しました。
その間も、求人はずっとあちこち探してました。そして、たまたま買った雑誌に、隣町に希望と一致する求人を見つけました。
その求人を恩師に見せると「うちの卒業生いる。ただ大人の事情で公にできないw」と。
でも、もうこれ以上のチャンスは、2度とないと思ったので、受けました。
とにかく動いてみたところ
面接は、けっこううまくいってたと思います。
でも「給与、いくら欲しい」って聞かれて、たしか「25万」って答えたら怒られました(笑)
「そんな出してるとこ、この辺にないぞ」って。まぁ、ちょっとわかってたのですけどね。あーダメだったかなぁと思ってたのですが、内定をもらい、無事入社できました。
地元で、かつ前職から年収アップです。手取りで20万くらいだったと思います。
以上、白金foxの就職氷河期体験談でした。
管理人より
白金fox(@pt78fox)さん、貴重な体験談ありがとうございました。
バブル期の楽観的な状況で、良いよなぁーと思っているところから、まさかの求人ゼロは私も分かります。
大学行ってるうちに、景気は回復するだろうと思っていたら、更に冷え込んでまともな求人が無かったのを思い出します。
また、一社目を退職した後の転職活動は心に刺さります。
今でこそ働き方改革、ブラック企業という言葉がありますが、当時はホントに背に腹は代えられない状態でした。
とにかく行動してみるというのは、この時代においても通用する事だと思います。
私もブログやWebライターで副業をしつつ、dodaを使って転職活動をしたりしています。
歳も取っているので中々次が決まりませんが、求人案件をとにかく出してくれるのはdodaの良いところです。
白金foxさんのように、とにかく求人数すら出なくなったら心が病みますので。
まだまだ厳しい時代は続くかも知れませんが、負けずに頑張りましょうね。
お読み頂きありがとうございました。
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