バブル崩壊以降、失われた30年とまで言われ長い不況に苦しんできました。就職氷河期世代は、その最たる例と思います。
しかし、その世代の本人だけでなく、家族も苦労を受けている事を忘れてはいけないでしょう。
ちょっと普段の当サイト(氷河期ブログ)とは違った感じですが、見て損はしないと思います。
家族を思い返しながら読んで頂けると幸いです。
寄稿頂いた「あめすさん」の紹介
はじめまして。今回ななしさんの氷河期ブログに寄稿させていただきます、あめす(@Amethblog)と申します。
まずは簡単に自己紹介をさせていただきます。
平成初期生まれの材料系技術者で会社員2年目です。最近失恋して人生迷走中、あめすぶろぐぐというブログを運営しております。
普段はお金の話やプログラミング学習などを発信しています。
外部リンクあめすぶろぐ
平成初期というと、狭義に言う氷河期世代ではないのでは?という話になりますが、その通りで今回は私自身ではなく家族の氷河期体験談になります。
初めての寄稿ということに加え、結構赤裸々な話になりますので緊張しております。どうぞよろしくお願いします。
バブル崩壊と父の失職
私の出生は平々凡々なもので父方の実家に6人家族で暮らしていました。
私が生まれた時には既にバブル崩壊を迎えてあらゆる場所にその影を落としていました。
元々雲行きは怪しかったようですが、父は私が小学生1年生の頃に1度失職しました。
いつもは朝私が学校へ行くよりも早く出勤する父が、出勤することもなく、帰れば既に家に居る状態がしばらく続きました。
失職したのは性格に難のある父が所以ではありますが、一つ経済悪化による会社の経営難によるものだと聞いています。
その後も何度か就職にこぎつけますが、職に就く度に失職していました。
その度に母は家族6人を養うを稼ぎ頭とならねばならなず、自然と家庭不和も生じていました。
幼いながらも母と父の喧嘩を幾度となく調停しましたがその甲斐もなく、失職期間中の父の悪事が発覚し、母は離婚に踏み切りました。
リーマンショックと兄の就職難
リーマンショックから尾を引いた経済不況は工業高校出身の兄の就職にも影響しました。
兄が仕事から帰ってくる度に、こんなはずではなかった、きつい、辞めたいという話を何度も聞かされましたし、当たられたりもしました。
本人が最も辛かったのは確かなのですが、家族である私たちもそれなりに辛い思いをしたものです。
就職氷河期と家族の体験談
今振り返ってみると、それなりに苦労のあった人生だったんだなとしみじみ思います。
その根底にあるのは何なんだろうということを考えるとやはり当時の不況と就職難の構図にあると思います。
仕事しないと路頭に迷う。そんな切迫した背景でぎりぎりの生活していた人は大勢いたと思います。
これからの未来、働き手は減り続け、人材不足の世の中となりそんな経験をした人は少しずつ少数派になっていくと思われます。(それもいつまで続くかはわかりませんが。)
以上、雑記ブロガーあめすからの氷河期ブログへの寄稿でした。今回企画くださったななしさんにはこの場を借りて感謝申し上げます。
関連記事悲報:就職氷河期はもう二度と来ない。しかし氷河期世代は救われない。
管理人より
あめすさん。記事の寄稿ありがとうございました。
リアルで生々しいです。。そのまま載せちゃって大丈夫?と思いましたが、貴重なお話しですよね。
幸いにして、節制体質のおかげで大きくお金に困った事はないものの、仕事がない、決まらない時って本当にメンタルがやられます。(体験者)
我が家は、きたる次の不況に備えて資金管理をしなければ、とも思いました。
ちょっと宣伝です
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